地元進学校出身のエリートが敷かれたレールを外れた理由をシンプルに言うと、
帰省をしていて、高校の同級生たちとご飯に行った。
いつも集まるメンバーで。
高校の友達はSNSはやっていないから、私が今何をしているとかは基本的に知らない。
そこで、「この間、会社辞めてん。フリーでやっていこうと思ってる。」
って話をすると、
「自分(関西弁で”あなた”という意味)、高校の時には想像もしてなかった道に進んでるなぁ。」と言われた。
確かに。
私も想像してなかった。
当時は地元で公務員にでもなろうかと思っていた気がする。
高校は進学校で、いい大学に行くのが当たり前、といった考えのもと、私達は当時の学校の先生達にそそのかされて国公立大の受験をし、学年全体の6割が浪人するといった前代未聞の結果を残した。ちなみにいつも集まる友人達は私も含め、全員1浪か2浪して国立大へ入学したメンバーだ。
大抵が大学院まで進学し、その後、
環境系や情報系の公務員、研究職、薬剤師、臨床心理士、など、それぞれアカデミックな仕事をしている。
私も建設系の専門的な技術職であったが、今は全く違う分野のことをやっている。
「すごいな。決断するのにも勇気いったやろうし。」
とも言われた。
確かに。
地元進学校ということで、中学生の頃から塾へ行って、わざわざ浪人してまで大学に進学して、専門知識を学んで、専門職で働いてきて、ということで、今までの勉強してきた自分を否定する事になるんじゃないか?という気持ちがあった。
なんで、こんな道に進んだのかは今でも不思議だ。
だって、目の前には私が昔夢見てた生活を送っている同級生達がいるし、地元で働いていて、最近はもっぱら婚活に関心を寄せているみんなを見て楽しそうだなぁとも思うからだ。
別に、技術的な仕事は嫌いではなかったし、勉強するのは好きだし、駆け出しの頃は四六時中、専門書を読んでいた気がする。
ただ、
偶然がたくさん重なって、自分の中での選択肢がフリーでやっていくということしか当てはまらなくなった。
今考えると、かなりの低い確率が重なった気がする。
それも、そんな道を自分で選んできたんだろうけれど。
ただ、レールを外れようとしたきっかけはたくさんあった。
色々なものに対する恨み、辛み、嫉み、妬みとして笑
そんなこと言おうとすればいくらでも言えるけれど、それが出てきた原因というのは、少しずつ溜まっていった「自分への嘘」。
「少しずつ」というのがポイントで、普通に生活していたら気付かないレベルで自分に嘘をついて、少しずつ我慢が蓄積していった。
そんな事をずっとしていたら、感情がなくなったり、自分を見失ったり、身体に不調が出たりしてしまった。
そんな状況が続いて、自分が自分に耐えきれなくなってしまった。
もう無理だ!
というところまで来てしまって、回復する為に逆の方向へ振り切れた笑
一度、「もう無理だ!」というほど強くマイナスな感情を持ってしまうと、
二度とあんな状況には戻りたくない、と思ってしまう。
だからそうならないように逆の方へ逆の方へ行く。
自分には嘘をつかないでおこう。
我慢しないようにしよう。
と。
その根本は、その時に生まれた自分の気持ち、
「自分を大切にしたい」
ということ。
「自分の一番の理解者でいてあげたい。何があったとしても自分だけは自分の味方でいてあげたい。」
そう、思ったから。
そう思って物事を選択していくと、いつの間にかこんな状況になっている。
この記事のタイトルの答えはシンプルに言うと、
「自分を大切にしたかったから。」
そしてたまたま、我慢し過ぎて振り切れてしまっただけ。
ただ、高校の友達に、みんなこんな風になって欲しいとは思わない。もう無理だ!っていうときは本当に大変だったから、みんなにはそんな思いして欲しくない。
できれば、もう無理だとなる前に軌道修正してほしいと、私は思っている。
別にみんなどんな人生だっていいし、
どんな人生であっても、笑って幸せになってくれればそれでいいと思う。
私はたまたまこんな選択をしているだけで、これが自分にとって楽しいことだから。
だから、私は生き方について、あまり人にアドバイスをするのとか好きじゃない。
今、生活していることが、その人の望んでいることだから、他人の私がどうこう言うつもりはないから。
ただ、変えたいけどどうしたらいいか分からなくて、ヒントを探している人がいれば、相談には乗るし、人も紹介するし、私が提案できることは提案する。
背中を押して欲しい人がいれば、思いっきり押してあげる。
話を聞いて欲しい人がいれば、寄り添い、じっと聞く。
私がたくさんの人からそうしてもらったように。
それに、過去の私と同じような境遇で、私と共感する人がいるのであれば、日々綴っている私の言葉を見て、こんな人もいるなら私はこうしよう、みたいな風に、自分を見るための比較対象としてくれたら、それはそれで誰かの役に立てたと思えて嬉しい。