人は、人と別れるために人と出会うのだろう。別れることで自分自信の存在を認識するために。
出会いの数だけ別れがある。
なんて、
よく聞く言葉。
私なんか、たくさんの人と出会うから、別ればっかりだ。
ただ、思うに、
別れを経験するために出会っているようにも思える。
別れを経験するから、その人との関係性を改めて振り返ることができて、その人の中にいる自分を確かめることができる。
つい先日、私に渾身のストレートを投げて、私の前から去っていった人がいた。
以前投げられた時は耐えきれずに1ヶ月くらい体調を崩したが、私が強くなったのか、相手の球筋が良くなったのか、たぶん両方だけど、今回はしっかりと受け止めることができた。ボールを受けた左手は少し痺れたけれど。
きっとあの人は今までそんなに想いをぶつけられる相手がいなかったんじゃないだろうか。
じゃないと、こんな強い気持ちは出さないだろう。
ただ、ちょっとは出す練習になったんじゃないかな。
出す練習相手が私だった。
これからはもっと他の人にも出していくんだろうか。
今後どうなるかなんて、私にはわからないけれど。
そこは本人次第。
本人が変わろうと思えば変われるし、
変わろうと思わなければ変われない。
前へ進もうと思えば進めるし、
前へ進もうと思わなければ、いくら周りが関わったとしても進まない。
ただ、
自分から去っていったということは、
前へ進もうとしたということ。
私に関わり続けると、きっとあの人はこれ以上変われない。
単に私に依存してしまうだけだから。
それを感じてかどうかは知らないけど、
結果的に去っていったってことは、
きっと何か変わるんじゃないかな。
あの人は私に関わることで、
溜まりに溜まった自分の本心を内側から出すことを覚えた。
1回出せば、もう出し方っていうのは覚えるから。
これからは色んな人にも出していってほしい。
そうすると、見える世界が変わるから。
私はそうやってあの人との別れから、
「溜まった想いを引き出すきっかけをつくる人間」だったっていうことを知った。
それが一つの自分のアイデンティティ。
ってカウンセラーにでもなれるんちゃうか笑
なりたいとは思わないけど。