関西女子の会話を聞くと落ち着く理由
ただいま神戸に帰省中です。
いつも帰省する時に楽しみにしているのが、電車の中での女の子達の会話。
特に何を話しているとか、内容は興味がないけれど、ちょっと低めで周囲に聞こえる大きな声で
「いや、ほんまないやろ」
「ないなぁ」
とか、裏表なく好き嫌いをはっきり言うのが普通っていう感じに会話しているのを聞くと安心する。
大概が自分勝手で好き勝手やっていて、好き勝手やるのが当たり前みたいな文化。
それがまた好き。
女の子だけではない。
今日買った本をゆっくり読もうかと思って喫茶店に入ったら、続いておばちゃん4人組が店に入ってきた。
1階席にソファがあったので、私はそこを狙っていたが、おばちゃん達が話しながら私の狙っていたソファ席を瞬く間に占領した。
「ここええんちゃう?」
「ここでえぇか」
「ここ(入口付近で)落ち着かへんのちゃう?」
「そうやな。ちょっと上(の階)空いてるか見てくるわ」
いや、おばちゃん達どこ行っても声大きいから、落ち着く落ち着かへんとかあるん?おばちゃん達がいたら周りの人落ち着かへんやん!
とかツッコミながら、3人がソファ席を確保して1人が上の階を偵察に行き、見事な連携プレーを発揮している様子を見ていた。
関西と言えば関西のオバちゃんにスポットライトが当たる事が多いが、若い女の子も年齢が違うだけで話す内容と考え方は基本的にはオバちゃん達と同じである。
うるさくて何が悪いねん、とか、好きにして何が悪いねん、みたいな思考が大半の人にある。
別に女性に限らず男性も。
うちの両親もひたすら声が大きく、普段物静かな私でも実家では声を張り上げないと生きていけなかったりする。
そんな私は幼い頃、声が大き過ぎる両親を幼い頃、イヤだな、恥ずかしいな、と思っていたため、反面教師として、物静かにするのが美徳だと勝手に思い込み、静かな女の子になった。
静かでいる事を選んだ私であるが、関西に帰ると、関西の女の子達やおばちゃん達の会話に落ち着きを感じる。
と、言う事は、嫌いと思っている大きな声での会話は実は結構が好きなんだなと改めて自覚した。
声を上げるなんて恥ずかしい、と思う反面、
自分で上げてみると楽しい♪
なんて、矛盾した感情を持っている。
東京にいると、会話のテンポが違って、好き勝手にテンポよく話すのは中々難しい。。。と思っている私。
声を上げるのは恥ずかしいと思いつつも、本当は声を上げて好き勝手に話したいと思っているのだ。
嫌い=好き♡
嫌いと好きは共存してるもの。
声が大きいの恥ずかしいって思ってるけど、ほんまは好きなんやん!ってこと。
一方通行だと見えてこないけど、実は嫌いなものの中に大好きがあったりする。
そこが見えるかどうかで、ものの見方も変わってくるからおもしろい。
それにしてもね。関西は楽しいところです♡