「死に際までその人らしさが出るんだよ。」そう、教えてもらった。
「死に際までその人らしさが出るんだよ。」
今まで300人以上の方を看取ってきた、看護師歴約20年の看護師さんに、そう教えてもらった。
普段の日常では考えない「死」。
「死」について、私の私情を挟むと感傷的になってしまうから、今回はそこは触れない。
ただ、そんな数々の「死」を見てきた方が言うならきっとそうなんだろう。
「死ぬ間際まで家族のことを心配して、死ぬ直前にそれが大丈夫って分ったら、血を吐きながらも『よかった。』って笑ってた。」
「夫婦愛とかね。(すごい素敵。)」
「身寄りのない人はね、ちゃんと看護師の手が空いてる時間帯に逝ったりするの。『私たち(看護師)しか看取る人いないんだもんね。』って言いながら。(私たちは対応する)」
「身寄りのない人は、死ぬ前に家とか全部片付けてくるんだよ。それで死んだ後のことを自分で市役所の人と打ち合わせして、全部自分で決めるの。つらいよね。昔は悪いことしたって言ってたけど、そのときはそんな悪い人じゃない。」
そんな、生のお話を少しだけだけど、聞かせてもらって、
「ただ、伝えたいのは、
『死ぬのはそんなに怖いことじゃないよ。』
ってこと。」
と。
そんな話を聞いて、
きっと、
死ぬ直前も、
ただただその人らしい人生があるだけなんじゃないか、
と感じた。
なんでこんな会話になったのかというと、
その看護師さんは、看護師をやりながら「マヤ暦」という古代叡智を用いて、より自分らしく生きることができるように、人を導くことをやっていて、私はそちらの活動のサポートをしている。
ただ、なんでそんな活動をされているのかがよくわからなくて、その人を知るために色々と話をしていた。
「正直ね、マヤ暦なんか知らなくても、自然と自分らしく生きることはできるし、使命みたいなことも、自分らしさも、日常にあったりするものなの。」
そんなことを言いながら、
自分を見失った人や何か支えが欲しい人に、マヤ暦を使ってそっと手を差し伸べる人。
きっと、
たくさんの人の「死」に向き合って、
何より「今の自分らしさや生き様」が大切だということを感じているから、
より「今を自分らしく生きること」について、向き合ってらっしゃるんだろうと、
なぜ現在の活動をされているのかの一端に触れたような気がした。
この世の中に絶対的なものなんてほとんどないけれど、死は誰にでも100%来る。
「死に際までその人らしさが出る。」
私はどんな死に際になるだろう。
きっと、今の私と同じなんだろう。
「死」とは、私にとっては未知数で、解釈をしきれていないから、うまく言葉が出ないのが正直なところだけれども、
ただ、
日々の日常を大切に、
自分らしく生きて行こうと、
死も、今の延長にあるということだけなのかもしれない。
今回は、まだ断片的なお話しか聞けなかったけれど、
もう少し聞かせてもらって、
その方とぜひ、
「死生観」
についての企画をやりたいと思っている。
きっと、
必要としている人がたくさんいると思うから。