SNSってものすごく狭い世界のように感じる
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会社とSNSってすごく狭い世界のように感じる
ふとした瞬間にこう思う。
「私ってなんて狭い世界にいるんだろう。」
私は狭い世界にいると、すごくすごく窮屈に感じてストレスを感じてしまう。
それは前々からで、きっと今もこれからもそうなんだろう。
もうすぐ私は今まで勤めてきた会社を退職して新しい世界へ行くのだけれど、今私がいる「会社」と「SNS」ってものすごく狭い世界のように感じてしまう。
「会社」は大体同じ思想を持った人たちが集まるから狭い世界と言えるし、
「SNS」は自分が見たいものしか見えなくなるから、結構考えが偏りやすい。
共にある1点に意識が集中した限られた人が集まる世界。
SNSってほんと人の感覚と似ている。
TVはメディアの人たちが情報操作をしているけれど、SNSは自分で情報操作ができてしまう場所。
もし、自分の甘えや不安があったとしたら、そんな自分に都合の良い情報だけが入ってくる。
そのとき自分の認知範囲しか見ることができなくて、意識をしていなければ、自分の価値観を壊すような「まさか!」の視点が入って来にくい。
「まさか!」の視点をくれる人を偶然見つけて、SNSでフォローしていけばいいと思うけれど。
私も、今の生活が落ち着いたら、SNSとの付き合い方ももう少し精査しようと思っている。
そんな会社やSNSに対する感覚から、自分のことを考えてみた。
そんなことを会社でもSNSでも思うなんて、私って、きっとどこへ行ってもしようとすることは変わらないのかもしれない。
その世界を経験し、一度知ってしまったら窮屈になって次の世界へ行く。
そうやって、自分が知らないことを知り続けるのが私が最も望んでいることなのだろう。
そうやって、自分が知っていることをどんどん増やしていった先に何があるのだろうか。
きっと、そこには何もないのだろう。
また新たな自分の知らない世界が広がっているだけ。
ぐるぐると回り続ける。
仏教の世界でそれは「流転輪廻」といって、そうやって回り続ける人生って意味あるの?っていう問いが出てくるけれど、そんなの人それぞれだ。
「その先に何かがあると思って、答えを探したら見つからなかった。だから意味がないんだ。」そういう人にとっては意味がないのだろう。
しかし、「その回ること自体が人生の目的で、意味があるのだ。」そういう人にとっては意味があるのだ。
それはその人が決めること。
私の場合、ただただ、何の感覚も生まれずに回ることに意味はないと思っている。
けれど、回っている一瞬一瞬が「楽しい」「おもしろい」「嬉しい」「苦しい」「辛い」「悲しい」そう感じたとしたら、自分の人生にとってそれが、その一瞬が全てだから、その経験をしていることに意味があることなのだと私は思う。
だから、私は今後もまだ見ぬ世界を見ようとしていくのだ。
たぶん、それが私という人間で、私という人生なのだ。
あなたが今求めているものってなんだろう?
私の場合、自分の世界を広げることに意味を感じている。
少し前は違ったのかもしれない。
だから、今、SNSとの付き合い方に違和感を感じているのだろう。
あなたの場合はなんだろう?
あなたが「今」もとめていること。
刺激を受けること?
自分とは何かを認識すること?
人との繋がりを感じること?
人の成長を見守ること?
自分の可能性を広げること?
誰かに価値を与えること?
誰かに愛を与えること?
自分が今求めていることが明確でないとしたら、SNSから得られる情報も適切な情報ではないのだと思う。
もし、ブレている人がいるのだとしたら、一度、自分の求めているものを見直してみてはどうでしょうか。
今日は笑いなしのお話でした!
感情の赴くまま発言できるこの場があることがありがたい。