その人の過去で人を見ると、目の前の人から得られる情報が半分以下になる。
人と深く付き合うと、
「この人にはこんな過去があったのか。」
と、驚かされることがある。
もし、目の前の人の驚くべき過去を知ったとして
「もっと気を使っていればよかったな」
とか、逆に
「そんなに気を使うんじゃなかった」
とか、
「もっと優しくしてればよかったな」
とか、逆に
「こんなに親切にするんじゃなかった」
とか思ってしまったときには、
【その人の過去で目の前の人を見ている】
ということになる。
つまり、あなたが見ている人は
目の前の人ではなく、
過去の目の前の人。
もしかしたらその過去は、
それは世間的に見て、
すごいことかもしれないし、
悪いと言われるようなことかもしれない。
ただ、
結局のところ私が付き合う人は
今目の前にいる人で、
過去がどうであったかは関係がない。
もし、
今、過去を気にしていない人に対して、
あえてこちらが心配しても、
それは全く意味のないことだし、
もし、
今、過去の栄光に縛られずに現在を生きている人に対して、
こにらが「この人は凄い人なんだ!」と身構えてしまっても、
相手にとっては嬉しい反応ではないかもしれない。
だから、
私はどんな人であっても
「へー。そんな過去があったんですね。」
と、
ただ話を聞く。
世間的にどんなに凄い人であっても、
世間的にどんなにおかしな人であっても、
目の前の人と付き合うのにその人の過去なんて関係なくて、
ただ目の前の人と話をするだけ。
なぜ、そんなことをするかというと、
その方が今の相手の情報が入って来やすい。
より、今の相手のことが分かる。
なぜ、人と話をするかというと、
私は目の前の人と深く繋がりたいからだけだから、
余計な自分の主観的な情報なんていらない。
そうすると、
ただ、相手の情報がスッと入ってくる。
自分の主観的情報が入ってしまうと、
自分の主観の範囲でしか
人付き合いができなくなる。
人と付き合うのに主観は必要ない。
過去は財産だ。家やお金と一緒。
だから、もちろん大切で、使いようによってはとても大きなものになる。
ただ、財産は目の前のその人そのものではない。
目の前の人を見るのか、一瞬でも過去の目の前の人を見るのか、
目の前の人と付き合うには、
過去の情報を主観的に捉えることなんて必要ないのだ。
その人の過去で人を見ると、目の前の人から得られる情報が半分以下になる。