帰省すると実感する。過去の囚われから抜け出す方法。

私は地元が好きだ。

でも、今は東京暮らし。
今すぐ戻ろうという気にならない。

なぜなら、過去に囚われてしまうから。

どうしても、家族や地元の知り合いや友人の目を気にしてしまうから。

家族の言いなりになってしまいそうだから。

 

 

 

今までの価値観から抜け出したい、
親の言いなりにはなりたくない、
新しい世界へ出たい、

でも、
動けない。

そんな風に思っている人はいるだろうか。

 

動けないのは当然のこと。

それは、あなたを過去に縛る情報があなたの周りに溢れているからだ。

その情報に囲まれている限り、あなたは動くことができない。

そんなことを考えてしまった昨日の出来事。

 

 
只今実家に帰省中です。

世間のお盆休みとは少し時期をずらして帰ってきました。

いやー、関西は暑い。。。

実家の猫のミーちゃんも伸びていた。

実家のミーちゃん

実家のミーちゃん

それにしても、ゆっくりした帰省は久しぶり。

つい先日来たときは夜に実家に寄って次の日の朝に帰るといったホテル感覚で泊まりに来ただけ。いつも帰ってきてもそんな状況なので、連泊するのはお正月ぶりか。

 

なので、昨日はお墓参りに行ってから、地元神戸の三宮をブラブラしてきた。

神戸駅から三宮駅へ移動。

そして街中を歩く。

 

そうするとなんと、

どんどんどんどん昔のことを思い出してくる。

普段は20分前のことも忘れる私が、、、。

 

昔のことなんてすぐに忘れてしまって目の前のことばっかりになってしまうこの私が、どんどん昔のことを思い出していく。

うわー、過去に囚われる仕組みってこういう事か。

と、そのとき思ったのだ。

 

どういう事かというと、

私は普段は過去の事はほとんど考えないけれど、

帰省すると頭の中にどんどん浮かんでくる。

それはなぜか?

 

過去の記憶を連想させる情報が五感を支配しているから。

 

どういうことかというと、

例えば、聴覚。

新大阪駅から在来線に乗った途端、目の前のヤングガール達がコテコテの関西弁で話をしている。

その声と会話のテンポと言い回しを聞いて、私が同じように話していた高校生時代の感覚へと急に引き戻される。

そうすると、急に関西人フィルターが入ってきて、頭の回転が2倍くらいになり、せっかちな気分になってきた。

私ってこんなに頭の回転速かったっけ???

いや、速かった気がする!!

そんな風に、耳から聞こえてきた過去を連想させる情報が、過去の記憶を思い起こさせ、

そして過去の感覚を呼び起こさせてしまったのだ。

 

その他例えば、視覚。

これが一番分かりやすい。
目で見えるものが過去の記憶とリンクする。

例えば今日、神戸駅を通ったとき、

「あぁ、ここを通って家庭教師の生徒さんのお家へ行ったなー。」とか、
「運転免許の筆記試験に落ちて、まさか落ちると思ってなくて落ち込んで、その直後にここのマクドナルドで勉強したなー。」とか、

そうやって、目に見える情報から連想ゲームのように過去の記憶と感情を引っ張り出してくる。

今までそんなこと思い出すこともなかったのに、こうやって思い出すきっかけとなる情報が目の前に現れると、芋づる式に記憶と感情が戻って来る。

 

普段、本当にこんなこと頭の中にないのに、すごいな!!!と、頭の反応に感心するのであった。

 

これは、意識的に思い出しているのではない。

”反射的”なのだ。

ただただ、目の前の情報に”反応”しているだけ。

これは意識的に制御することはできない。

 

 

「断捨離をすると気分も良くなる。」

なんてことを聞いたことがあるけれど、それはこの逆の話を言っている。

目の前のモノ(情報)を視覚的、空間的に無くしてしまうとそこから連想される過去の記憶や感情を日頃連想しなくて済む。

そうすれば、新しい記憶や感情のみ意識に入ってくるようになる。

だから新しいことだけを取り入れる状態になれるから、気分がスッキリするのだ。

もちろん、連想させる情報が目の前になかったとしても、心にしっかりと記憶されていればどうしても思い出してしまうことにはなるのだが、連想を開始させるきっかけの情報が目の前にないに越したことはない。

 

 

そこで、冒頭の話に戻るけれども、

過去に囚われる原因というのは、

もちろん、その人の中の記憶が強烈で自分の中で解消されていないっていうのもあるのだけれど、

それ以上に、その記憶を呼び起こさせる情報が目の前にたくさんあり過ぎということ。

 

だから、そんな情報に溺れてしまって、
五感を全て持って行かれてしまって、
その情報に支配されてしまう。

これは反射的反応だからどうしようもない。

 

じゃあ、どうすればその情報から逃れられるのか?

これは物理的な問題だから、
無くそうと思えばなくせる。

 

例えば、断捨離をして、部屋の中から情報を無くす。

これは身近にできる簡単なことである。

それで新しいモノを入れる。

そうすれば新しい情報のみ入ってくることになる。

 

その他には、自分が別の土地へ移動する。

旅行へ行くのもそう。

引越しするのもそう。

なんでも良いが、普段触れていた情報に触れないように環境を変える。

 

私なんてこれで変わった良い例。

私は元々、東京に出てくるなんて考えたこともなかった。地元で働いて、地元で結婚して、地元で専業主婦をする予定だったんだけれども、就職して会社の都合で思いがけず東京に出てくることになってしまった。

初めて東京に来たときは、まるで異世界に迷い込んだかのようで、現実か夢かも分からなくなるくらいだった。

それはなぜかというと、目の前にあるものが全て過去とリンクが取れないものばかりで、今まで意識せずとも生活してきた日常が、色々なものに注意を向けざるを得なくなったから。

そうすると、昔のことなんて考えている余裕がない。

新しい情報が多すぎて、新しい情報を処理することに頭を使い、過去を思い出すことに頭を使う時間が極端に減った。

それと同時に、無意識のうちに囚われていた家族への感情や、友人知人への感情、地元の世間体への感情、当時生きてきた常識などなど、

今までの私をつくってきた人々のあらゆる想いや思想が一旦なかったかのような感覚になった。

そうやって過去を思い出せない状況になった上で、一旦これからの人生を考えることとなったのだ。と、いうか人生設計が崩れたので考えざるを得なかったというのが当時の言い分なのだが。

ただ、私があのとき東京に来ていなかったら、こんな風に将来を切り開きながら生きるという道は歩まなかったかもしれない。

それは、地元にいればそこで今まで暮らしてきた常識や価値観が当たり前だと思って生きていっただろうと思う。

離れるまでは今までの情報や価値観を何も疑うこともなかったから。

 

 

私の場合は半ば強制的に目の前の情報を新しい情報と入れ替えることとなったため、過去の価値観を一旦外から見ることとなった。

だから過去の囚われから一旦抜け出すことができたのだろう。

まだ、完全には消えていなくて、いや、完全に消えるのなんて無理なんだろうけれど、

少し囚われてしまうところがあるから、私は意識的にそんな情報を入れないようにしているだけ。

 

生活環境の断捨離をするのだ。

 

だから、もし、

過去の囚われや、
家族からの想い、
世間体、
常識、

から、

抜け出したいけれど、抜け出せない人がいれば

まずは断捨離をしてみるといい。

 

それはモノでも、目の前の景色でもいい。

目の前の景色というのは、
毎日見ている家の引越しをしてもいいし、
毎日見ている職場を変えることでもいい。

はたまた、
今まで聞いていた音楽でもいいし、
今まで見ていたテレビでもいい。
今まで食べてきた料理かもしれない。

なんらかの方法で、今までの情報を断捨離すれば、

それが、今までの過去の囚われから抜け出す一歩になる。

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