続・「私たちに戦争を教えてください」(フジテレビ番組)の感想

前回の記事「私たちに戦争を教えてください」(フジテレビ番組)の感想でも書きましたが、ぜひ若手俳優達に戦争についてのディスカッションをしてほしかった。

終戦70年ドキュメンタリー「私たちに戦争を教えてください」(フジテレビ公式サイト)

と言うことで、一人ディスカッションをしてみました。
一人一人が考えるに至るのが大切だと思います。
読みたい人だけどうぞ。

戦争を起こしうる可能性は今の日本にも十分ある

”日本人が人間だとは想像もしてなかった”当時のアメリカ軍人の方が語っていた。日本人が人間ではないというのは真実ではない。だが、そんな主張が当時のアメリカ軍の中では当たり前だったのだ。つまり、当たり前と思っていたことが、実は間違いだったということ。これは非常に恐ろしいことである。この現実は、現代でも起こっているかもしれない。現代人が当たり前と思っていたことが実は間違いかもしれない。その現実が、当時の軍人が敵を容赦なく殺したように、今の常識が、直接的ではなく間接的に知らず知らずに誰かを殺しているかもしれないのだ。それは、現在の常識を疑ってもいない今の私たちには分からない。当時の軍人達が”敵は人間ではない”と信じて疑わなかったように。知らなければ罪にならないのか?それは違う。そのため、現代の私たちも”戦争”という分かりやすい状況ではないが、もしかしたら罪を犯しているのかもしれないのだ。日本人は常識が正しいと考える人が大半である。だから、その常識が間違っていたとしても、それを疑おうとしない。そのため、もし誰かによって、間違った常識を与えられたとしてもその常識を疑う人は現時点で多くはない。そのため、現代においても、戦争をしてもよいというような常識が出回れば、日本人は戦争をするだろう。与えられた常識が当時と異なるだけで、今との市民の状況は大きくは変わらないのではないかと思う。

マスメディアの代表格として、テレビの影響力は大きい。まるでテレビ番組やテレビCMの情報が国民全体の常識のような感覚に陥ってしまう。テレビの情報だけで物事を判断しては、戦争当時にラジオや新聞から流れてくる情報のみを信じてしまう状況となんら変わりはない。

70年前と異なるのはインターネットの普及。多角的な情報を得ることによって選択肢が広がる

しかし、現代では情報がマスメディアのみという状況ではない。インターネットによって様々な状況が得られる情報化社会であり、当時とは状況が異なる。正しい情報もあれば、虚偽の情報もある。まずは正しい情報がどうかを見極める必要がある。メディアの数が多く、虚偽の情報は流れにくい状況であるが、情報の一部分だけを出し、真実とは違った印象を与えるような状況は多々ある。発信側は意図が伝わりやすいように、情報を抜粋、組み立てて発信するからだ。しかし、その情報だけが真実とは考えてはいけない。その他の面もあることを念頭に置き、情報収集することが重要である。また、賛成意見だけではなく、反対意見も知ることがとても重要だ。賛成意見からの主張では、反対意見の主張は入ってこない。見えないのだ。だから、賛成も反対も裏表両方知った上で、自分自信の意見を持つ必要がある。そうやって、日々真実を知ろうとする目線を養い、互いの意見を理解した上で、自分の主張を言える状況に慣れていなければ、大きな影響力の前に飲み込まれてしまう可能性があるからだ。

私たちが戦争を起こさないためには、常識や情報に流されるのではなく一人一人が意見を持ち、意見を主張し、一方的ではなく相手の意見も理解することが重要

特に現代の若者は、SNS社会の中に生きており、20代前半までの世代と20代後半以降の世代では大きく状況が違う。入社1、2年目の若手社員でよく見受けられるのは、失敗を恐れて上司の顔色を伺いながら仕事をする者、人との距離感が掴めず、親しい間柄で仕事をしたいけれども相手に踏み込むのが怖くて距離を取ってしまう者、コミュニケーションに自信がある者もいるが常に周囲の状況を把握し息つく間もない程に周囲に気を使っている。入社1、2年目のような20代前半の若い世代は小・中学生から携帯電話を持ち、高校生のときはスマホを持っている。スマホの普及により、リアルの世界だけではなく、ネットの世界であるSNSにてコミュニケーションを取っている。SNSでは目の前にいなくてもコミュニケーションが簡単に取れるため、自分の知らないところで、コミュニケーションが取られていることが当たり前になっている。仲間はずれもリアルの場だけでなく、SNS社会でも起きてしまう。そのため、周囲の考えや動きに非常に敏感になっており、意見の主張をしたら仲間はずれにされるといった強迫観念もあるため、意見の主張を躊躇う場合も多い。若い世代がそういった状況だからこそ、恐れずに自分の意見を主張しても良いということを認識することが大切だと私は思う。

そもそも、なぜ情報に流されるのか?

そもそも、なぜ情報に流されてしまうのか。それは、日頃から情報に流されるような頭になっているからだ。日本ではトレンドに敏感な者が優位に立ち、トレンドを知らない者はダサいと言われ、仲間はずれにされる。それを恐れて、皆、そのものには全く価値がないものでも”流行している”ということに価値を感じ、物事を選択しているのだ。意識せずとも、トレンドというマジョリティが正しいという認識を社会全体が持っている。そのような認識がある限り、そのものの真実が見えなくなってしまう。一度大きな波が来たら引き返せない状況になるのだ。

どうすれば、情報に流されず、その物の価値を見定める事ができるのか?

それは、”『自分にとって本当に大切なものは何か?』という問いを常に自分自身にし続けること”である。現代日本は情報化社会だ。様々な情報にまみれていて、何が自分に必要な情報なのかが分からなくなってしまっている。生きている間、本当に大切と思えるものは何か?仲間はずれにされない事だろうか?周りから注目を浴びる事だろうか?ちなみに、戦争という極限状態の人々は何を思ったか。特攻隊の人は出撃前の夜「お母さーん!」と叫んだそうだ。ある人は恋人を思った。ある人は「死にたくない」と強く思い、死んでいった。

各々にとって、“一番大切なものは何か?”という問いを改めて確認すべきである。

これら、自分にとって本当に大切と思えるものがはっきりしたら、実はその他の事は2番手以降であり、極端な事を言えば、なくても生きていける。ただ、一番大切なものが自分の中でぐらつくと、2番手以降に代わりを求めてしまう。そのため、一番手の存在を埋める事が優先されて、そのものの価値を見るのは後回しになり、そのものの価値があるかどうかではなく、一番手の代わりになりうるかどうかが優先される。「注目を浴びたい。誰かに認められたい。」その思いは一番手のグラつきから来るものなのだ。

その不安定さが判断を狂わしてしまう。

つまり、自分にとって一番大切なものを大切にできていれば、余計な雑念なく、物事の本当の価値が見えてくる。

自分にとって一番大切なものを認識し、大切にする事によって、己の考えの軸ができ、あらゆる情報に流されず、誤った判断を減らす。

東日本大震災の被災者や、命の危険に直面した人は実感した事があるに違いない。

しかし、日本人の大半の人間、命の危険に直面した事がない人間は意識的に確認する必要がある。そういった日々の意識が戦争防止へと繋がっていくのではないだろうか。

<感想はこちらから♪>
sun.rikejo@gmail.com

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