15年前の自分とフュージョンした。Lvが1上がった。

あなたは昔のことをよく思い出す人ですか?

それとも、すぐ忘れてしまう人ですか?

 

 

 

GW、なんだかんだで初めて、”みっけ”(=リケジョの嫁)とお出かけをした。

場所は”みっけ”が行きたがった巣鴨。

私は初めて行く。

 

逆瀬川の祖母を思い出す

千原ジュニアがテレビでコメントしていた赤パンツの店が見たいとのこと。

その好奇心、私には全く理解ができなかったが、ついていくことにした。

 

 

噂には聞いていたが、お年寄りが多い。

いや、多いというか、ほとんどお年寄り。

 

 

お店に並ぶものは、小学校の頃に遊びに行った逆瀬川の祖母の家を思い出すものばかりだ。

懐かしい。

 

今や、両親の年齢があの頃の祖母の年齢に近づいているなと、

ふとした感傷に浸りながら、商店街を歩く。

 

 

そんな、懐かしの街を歩く途中、”みっけ”が私に話しかけてきた。

 

 

身ぐるみを剥がされそうになった

 

「中学の頃は部活何やってたん?」

 

一瞬、ドキッとした。

 

単純なよくある会話だが、私はその先にある結末を瞬間的に予測した。

 

この”みっけ”は人の心にスッと入ってくる。

きっとこのまま会話が続くと、身ぐるみを剥がされてしまう。

それを察知して、構えのポーズを取った。

私は人に心の中を覗かれるのが、怖いのだ。

 

以前よりは随分とオープンになってきた。

ただ、まだ少し怖いところがある。

みっけは安心できる存在。

そんな人でも、まだ、人に自分を見せる”怖さ”は残っている。

 

 

そんな、私の心情を知ってかしらずか、”みっけ”はどんどん私に質問をしてくる。

どんどんといっても、「何やってたん?」とかそんな程度だが。

そんな簡単な質問だけれど、一枚一枚、剥がされていく。

私は耐え切れず、半ば強引に話をはぐらかしてしまった。

 

一緒にいるのがつらくなっていたのだろうか。

いつの間にか、解散して各々の時間を過ごすことになっていた。

 

 

 

ふと、昔を思い出した

次の日。

”みっけ”と共通の友人とお茶をしていて、先に私が帰宅し、部屋で一人の時間を過ごすことになった。

 

 

ふと、中学生時代によく聞いていたZARDの曲が頭に流れてきた。

無性に聴きたくなって、ダンボール箱に手を伸ばす。

 

 

1年ほど放置状態のダンボール箱。

いつか忘れたが、実家から送ったMDコンボとCDやMDが詰まっているダンボール。

開けないなら早く捨てた方がいいんじゃないかと思っていた音楽達。

 

 

昨日、巣鴨に行って、祖母を思い出したのと、”みっけ”に身ぐるみを剥がされそうになったときに、今まで見ることをしていなかった昔のことを少し見てしまったから、もう少し過去の自分を見たくなったのかもしれない。

 

 

そういえば昔、父親が金魚の水槽の水を変える時に、最初にホースを口でくわえて息を吸い込んで、一度流れをつくって古い水をバケツに入れ替えてたっけ。最初に勢いをつけると、水は自然と流れる。

それと同じで、過去を思い出すという行為に、”みっけ”が初速をつけてくれた。

 

 

MDコンボを開けて、ホコリを払い、コンセントにプラグを挿した。

電源、入るかな?とちょっと不安であったが、直ぐにランプが付いた。

MDプレイヤーに切り替えると、MDが入ったままであった。

 

 

中学生時代に聴いていた音楽が流れ出し、急に当時へタイムスリップしたような感覚になった。

 

 

MDの画面表示を見ると、「BASS」の文字が光っている。

BASSの音が好きで、少し大きめに流れる設定にしていた。

中学生時代、ブラスバンドでBASSを弾いていて、音楽漬けだったことを思い出した。

 

現在と過去との心の分離

2年程前に、1回、心をリセットしたような経験をしてしまったから、それより前とそれより後が完全に分離したような状況が続いていた。

 

同じ自分でも、過去と今は全くの別の自分。

 

そんな感覚であった。

 

 

地元に帰ったら過去の自分を思い出す。

しかし、東京に戻ってくると、別の自分がそこにいる。

だから、東京にいるときは、昔の記憶はあっても、今の自分とは違うもう一人の自分であり、自分であって自分でないような人物の記憶というような感覚であった。

 

”今が全て”で、”過去を振り返るなんて意味がない”と思っていた

そんな状態であったが、当時聞いていた音楽を流していると、東京にいるのに15年前の自分の感覚が戻ってくる。

何も考えずに、音楽や勉強をして、友達や先輩、後輩とワイワイと楽しくやっていたあの頃。

思い出すと、顔が緩む。色々な意味で。

 

 

もちろん、あの頃が楽しかったのは言うまでもないが、

こうやって昔を懐かしむ自分が今ここにいることが嬉しい。

 

 

今までは、現状の葛藤が大きすぎて、過去を見ることができなかった。

「過去と比べてどうして今こんな状況なのだろう。」そんな気持ちが出てきてしまうことが分かっていて、いつも目を背けてしまった。

「昔の思い出なんて話して、現状何か変わるの?(いや変わるわけがない。)」と、昔を思い出す行為なんて意味がないと眉をひそめていた。

思い出すのを無意識のうちに避けていて、自分は別の自分なんじゃないかと思い込ませていた。

 

 

ただ、ようやく、

 

何気なく昔を思い出せる時期が来た。

 

それだけだ。

 

 

”今の未熟な自分を静観”できるようになったことで、”昔もただただ思い出す”ことができるようになった

今の現実が混乱の渦に巻き込まれている時期は、どうやったら現状を抜け出せるのか、そんなことばかり考えていた。

”今”が全てだと思っていたから、”今”が良くなければと必死だった。

 

 

しかし、少し一息つけるようになって、

今の自分の未熟さも可愛らしいと思えるようになって、

大変だった時も受け入れられるようになって、

楽しかった時期の自分に対して、「あの頃はよかったのに」のような、過去の自分と今の自分を比較して落ち込んでしまうような感情もなくなってきた。

 

 

ただただ、あの頃の自分を思い出す。

 

 

少しずつ、私も今の自分を認められてきたのかもしれない。

そして、もっと受け入れたいと思っていたのかもしれない。

 

 

そんな時に、”みっけ”の何気ない行動が、私の行動を促進させた。

”昔を思い出す”ということを。

 

あの頃より積み重ねられた経験

昔を思い出したとしても、少し違和感が残るのは、その後に人生を少しずつ積み重ねているからだろう。

完全に15年前の自分と同じではない。

ただ、ついさっきまではここ数年だけの人生しか感じれていなかった自分が、15年前からの人生を感じ、感覚を得られる状態になっていた。

 

 

不思議だ。

 

”今の自分”と”あの時の自分”との『融合』

昔を思い出しても、

「あの頃はよかったのに」ではなく、

「あの頃はあの頃で楽しかった」と思える。

”昔の自分と今の自分が融合したような感覚”である。

 

変な感覚。

 

今、昔の象徴のMDプレイヤーと”みっけ”が隣に並んでいるシチュエーションはまだ慣れない。

でも、中学生の頃の自分も、今”みっけ”とルームシェアしている自分も、どっちも私なんだなと思う。

私も自分なりの人生があったのだなと、改めて思い出す。

こんなことを考えている私って、ちょっと大人っぽくなっただろうか。

 

「時が解決してくれる」そんな言葉、好きじゃなかった。

明日死ぬかもしれないのに。

 

でも、「時が解決してくれる」こともあるんだなと、今なら思える。

 

 

知識や経験が増えた訳でもないのに、今の自分を認められただけで、私自身が進化したようだ。

 

すぐに昔のことを忘れてしまうけど、たまには思い出すのもいい

私は昔から、すぐに昔のことを忘れてしまう。

いつも”今”のことを考えていて、生き急いでいるのではないかと感じる時もある。

 

ただ、たまにはこうやって、昔を振り返るのもいい。

 

振り返られるようになった今、これはこれで楽しいと思えるようになった。

 

 

テレビをつけながら、こんな文章を書いていると、「熊本の小学生が被災地で新聞を書いている」との話題が目に入ってきた。

そういえば、小学生の時、震災後に建て替えられた真新しい校舎の廊下で連載した新聞が人気になったっけ。

昔から、企画とか好きだったんだな。

こんなこと、全く頭から抜けていたけれど、ふと思い出した。

 

今、こうやってブログを書いているのも、あながち偶然じゃないかもしれない。

 

こんなことを思い出させてくれる”みっけ”恐るべし。

ただ、身ぐるみを剥がされるのはやっぱりちょっと怖い。

 

 

P.S.
今日はみっけがいない間にご飯を炊いてみたら、みっけが喜んでくれて嬉しかった。
人のためなら、家事もやろうと思えるのかもしれない。

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