嫌な感情がフラッシュバックした。そっと、自分で自分を抱きしめた。
最近は気持ちが落ち着いているのだが、久しぶりに「うっ」と来ることがあった。
今日、会社で上司と今後の話をしていた時に、
「なんか、中野さんが辞めること知ってる人がいた。
facebookかブログかなんかで見たって。」
そう言われた時に、なぜか”グッと”嫌な感情になってしまった。
なんでこんな感情になるんだろう?
こんな感情になるのは久しぶりだ。
なかなかこんな嫌な感情になることはない。
普段、一緒に仕事をしている人だけ直接口頭で伝えていて、facebookの友達も会社の人はほぼいないから、この情報で私の進退を知るのは私が普段仕事で関わらない人で、自らの意思で私のブログを見に来た人。
そのとき気づいた。
「私って、よっぽど、会社にいるときの自分が嫌なんだな。」って。
基本的に、情報発信を見られるのが嫌だなって思う人っていうのは、現在の私を知らなくて、ちょっと前の断片的な私の情報を知っている人たち。
私=◯◯な人(断片的な部分)
みたいなイメージで私を見ている人。
きっと、私は会社では自分が好きな自分を出せていなかったんだろう。だから、きっと今こうやって私の発信を見ている会社の人がいるんだったら、会社で振舞っている私、つまり私が嫌いな私をその人はイメージしているから、こうやって嫌な気分になるんだろう。
私は、自分が好きな自分でいたいと思っているけれど、ある人の頭の中に私が嫌いな私の映像が流れていると思うと嫌な気分になるんだ。
「本当の私なんて知らないくせに」ってね。
ただ、私は会社にいるとき、そこまで自分らしく振舞えていなかったわけでもない。もちろん、楽しいことはいっぱいあった。だから、私はけっこう気にしすぎな部分があるんだっと思う。
でも、きっと、私は会社にいるときは、ずーっと我慢していたんだろう。
辛くても、しんどくても、悲しくても、悔しくても、それは今の環境のせいだから仕方がないと、自分で自分を諭してずっと働いてきた。
ただ、こんなに頑張ってるんだから認めて欲しい、私を見て欲しい、もっと褒めて欲しいって、ずっと求めている部分があった。けれど、そこが満たされなくて、すごく悲しかったんだ。
なんで褒めてくれないの?って。
子供っぽいけど、私っていつまでもそんな子供なんだ。
大人になんかなれない。
もしかしたら認めてくれている人もいたのかもしれないけれど、それが私に伝わることはなかった。
会社の人に本音で話ができる人は、今はいない。
本音で話せる人はみんな辞めていった。
だから、すごく、悲しくて、寂しくて、孤独で。
会社の人たちが見てるよって言われたとき、辛くて自分が嫌いな自分を過ごしていたときの感情がフラッシュバックして、「うっ」となってしまったんだろう。
きっと、これを読んだ会社の人は驚くかもしれない。
自分で言うのもなんだが、人当たりも良くて、全くそんな素振りは見せていなかったから。
今一緒に仕事をしている人たちは、話したくなかったら話さなくていいよっていうような優しく見守ってくれる人たちで、余計な詮索もしないし、偏見もないし、今目の前に働いている私だけを見てくれたから、ありがたかった。
でも、本当は会社の人と本音で話したかったんだけれど、最後までビビってしまって本音で話せる人は、今までほんのわずかな人しかいなかったな。
きっと、こんな気持ちも、いずれ消えていくんだろう。
思い出したくないってずっと思ってた、ありえなく大変だった大学の研究室時代でも、今では単なる過去の思い出となっているように。
しかもあのときの経験によって、こうやって文章を書くことを覚えて新しい世界が開けたように。
そのときの経験を、自分の中で認められるようになったとき、「よく頑張ってたんだよ」って、本気で認められるようになったとき、その「とき」はかけがえのない経験と思い出に変わっていくんだろう。
そんなことを思いながら、静かに目を閉じて、心の中で自分で自分を抱きしめた。
今までの経験がどう化けるんだろう。
早くこのマイナスの強い気持ちが消えてくれるといいなぁとも思うけれど、きっと時間が解決してくれるんだろう。
改めて、自分の負の感情を直視した今日。
こうやって文字に起こすと、そんな感情もこれから転換すること知っていたことを思い出すから、楽しみになってくる。
不思議だけれど、これが自然で必然なことなんだ。
こうやって振り返る自分にお礼を言いたい。
辛い過去を自分のものにすることを覚えた自分に。